小汚いオカマ日記

当ブログでは『オカマ』という単語を使いやすさの都合上、本来の意味での「オカマ」とは別の多義語として使用しています、ご注意ください。

オカマの女性観が歪む原経験(前編)

当ブログでは『オカマ』という単語を使いやすさの都合上、本来の意味での「オカマ」とは別の多義語として使用しています、ご注意ください。

 七夕の昼、はてなブログに記事を投稿した後、なんかスマートフォンの通知が止まらなくなり、投稿して7時間後には人気のエントリなんていうところに名前が乗っていて、投稿から24時間弱で30,000近くのアクセスを頂いた。

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 こんなん驚くに決まってんだろ!!!!!!!!!!!!!!!!

 大変ありがたいことに未だに伸び続けていて、7/11(月)現在で5万アクセスに到達する勢いだ。

 自分は何年も前からTwitterに生息してそちらの伸びる拡散されやすいツイートについては多少知識を持ち合わせていたが、はてなブログの文化については本当に何も知らなかった。はてなブログはブックマークという形で拡散されていくことを初めて知りました(無知)

 一番驚いたのは結構な長文記事であるにも関らず、最初から最後までしっかり読んでいるというのがコメントから伝わってくることだった。

『はじめての女装と、はじめてのナンパ』 - 小汚いオカマ日記

面白く読んだが、最後のミソジニー丸出しの結論にびっくりした。当たり前だけど女装好きの男性がフェミニストとは限らない

2016/07/07 21:13

b.hatena.ne.jp

 このコメントでも言及されているが、自分は過去の体験から一部アンチ・フェミニストと言われてもおかしくないタイプの人間になってしまった。別に女性が嫌いなわけではないのでミソジニストではない。女性の『性』が持つ社会的優位性から自分自身が女になりたいと感じているのだが、それについて語り出すとそれだけで1つのエントリになってしまいそうなのでここでは自分がアンチ・フェミニストであることだけを伝えておきたい。
 男女の不平等性についての詳細な思想・信条を羅列すると、清潔なフェミニストを装うことで女性からの信頼を獲得しあわよくばオチンチンの出し入れを狙うインターネットペニスや、ガチフェミの絶対自分の考えが正しいマンから絶対正義の男女平等パンチを受けてしまうので、私がどういう人間かということに関してはツイートや今後のブログの中で少しずつ「なるほど、こんな生き物もいるのか」と動物園の檻の中を覗くくらいの優しい気持ちで見ていただければ幸いである。そういえば男女平等パンチってオカマにも効くんだろうか……

 今回このような形で様々な方面に拡散したエントリだが、自分の社会復帰の一環としてフォロワーの皆さんから読みたい記事を募集したところから始まっている。

 付き合いの長いインターネット・フレンズから「さっさと次の記事を書け」と言われたが、そんなに筆が早いわけでも話の引き出しが多いわけではない。しかも前の記事が拡散してしまっただけに、変なことを書けば叩かれてしまうと思ったが、そもそも書きたいことを書くためにはじめたブログでそんなこと考えても仕方がないので「STOP女叩き、守りたい自撮りがある」という先人の言葉に従って気の向くままにブログを書いていく所存である。何より「鉄は熱いうちに打て」という言葉もあるし、皆さんの興味が少しでも自分に向いている内に自分の書きたいことを書くのは承認欲求を満たすという意味では大きなチャンスだ。

 主な生息地がTwitterの自分にとって、はてなブログ経由でTwitterのフォロワーが増えることも大大大歓迎なのでフォローしてね(直球)
 そんなわけ(?)で今回は、ついで投票が多かった『彼女に捨てられたので今まで女性から受けた仕打ち』、すなわち私の女性観が歪んでアンチ・フェミニストになるきっかけとなった体験について幾つか紹介します!!

 

●中学時代の掃除の時間に

(これはTwitterで長い間自分をフォローしてくれている人にとっては何度か話題に出したものを詳細に書き出しただけなのでご容赦願いたい。それから、自分が歪む最初の事件(?)なので内容が若干暗く「俺はミソジニスティック(人生で初めて使った)な文章を読みに来たんだよ!!!!!!!!」っていう方は、そのうち書いて投稿する予定の後編『大学卒業して就職後、4年間付き合っていた彼女に自律神経を破綻させた瞬間に捨てられる俺!(仮題)』を読んで頂けるとめちゃくちゃ嬉しいです)(予防線)…

 

 中学時代に学校ヒエラルキーの上位に属するのは、身体と声がデカくて粗暴なタイプや運動部のスポーツ万能人間というのは皆さんも経験からご存知のことだと思う。
 俺の通っていた中学校も例に漏れずサッカー部や野球部の強面ですぐに手が出る乱暴な人間が学内ヒエラルキーの上位に属し、かつ委員長や生徒会などにも属していることが多かったため、教師からは「信頼」という名の「見て見ぬ振り」がまかり通っていた。
 一方で俺はというと、部活はオタク御用達の卓球部に所属していたが、幸いなことに運動神経だけは真っ当だったため、団体レギュラー+個人戦も関東大会に行ったり行かなかったりと、地味ながらもその地味さのおかげで悪目立ちをせず、上位ヒエラルキーの人間から目を付けられることなく静かなオタクとしてオタク・フレンズとゲームやマンガやアニメの話をしながら過ごしていた。

 そんな平穏が破られるのは中学2年生になった春のことだった。

 1日の授業が終わって掃除の時間になった。教室内の掃除担当の班だったので机や椅子を移動させて床拭いたりアレやコレをするソレである。(そういえば放課後の掃除という文化はまだ残っているのだろうか?)
 自分はホウキとチリトリを持って、いつものように地味に目立たないように掃除をしていた。ホウキで大雑把にゴミを集めて、チリとりに入れる。細かいゴミは上手くいれるのが難しくて、後ろに進みながらホウキで丁寧に掃いていた。その時、
「ドン」
 と何かが背中にぶつかった。振り向くとそこにはクラス内ヒエラルキーの頂点に位置するサッカー部で生徒会の飯野(仮)が立っていた。どうやら俺は彼の上履きを踏み付けて背中にぶつかってしまったらしい。
 「ごめん、後ろ見てなくて…」と謝ろうとした瞬間、飯野(仮)は苛立たしげな表情でおれの胸ぐらを掴み、そのまま勢いよく俺を教室の壁に叩き付けた。
「ドン!」

 と大きな音が掃除中の教室に鳴り響いた。先ほどまでざわついていた生徒たちは揃って口を閉じ、教室はシーンと静まり返った。
「お前、何足踏んでんだよ」と飯野(仮)は言う。おれは謝罪の言葉を口にしようとしたが、飯野(仮)はレスポンスを待つまでもなく、再び俺は壁に叩き付けられ、腹に思い切り膝蹴りを食らった。
「ふざけんなよ」と飯野(仮)は続けながら、胸ぐらを掴みながら今度は顔面を殴られ、その後はもうよく覚えていないが、とにかく殴る蹴るの暴行を受けた。(ニュースぽい表現)
 はじめてのことに、俺は何をしていいのか分からないままひたすら痛みを我慢していたが、そのうち教室の隅から声が聞こえてきた。
「可哀想だからやめてあげなよ~(笑)」
 声の方に向き直ると、ヒエラルキー上位の女子グループが立っていた。彼女たちは飯野(仮)と俺の方を見ながらニヤニヤ笑いを浮かべて「そんなん相手にやっても可哀想じゃん(笑)」と続けた。
 飯野(仮)はその女子たちの言葉に満足したのか、「フン」と大げさに俺を廊下へと突き飛ばした。

 俺は教室に戻ることが出来なかった。まだ荷物は置いたままだし、この後部活もあるのだが、何かが怖くて怖くて、そのまま何も持たずに家に帰った。
 そしてその日から俺の中学生活は様変わりした。飯野(仮)に目を付けられたのだと誰かが喧伝したのだろうか、今まで普通に話をしてくれていた人たちも俺を無視するようになった。部活のメンバーも部活中以外は俺を避けるようになった。

 今でも中学の卒業アルバムを見ると、その境目をハッキリと見つけることが出来る。中学2年生の始業式以降、俺が笑顔で映っている写真は1枚も無いのだ。
 飯野(仮)から受けた暴力は許せないことだったし、未だに何を見なくてもテキストに起こすことが出来るくらい鮮明に記憶している事件だ。しかし、俺は殴られた事実以上に『権力の取り巻きとなる女たち』という存在を、この時初めて明確に認識した。確かに飯野(仮)に腹は立ったけれど、それ以上に近くで笑いながら暴行の現場を傍観し、俺を「可哀想」だと小馬鹿にした女たちが許せなかった。

 その後の中学生活は、地獄というより煉獄だった。昨今インターネットでよくネタ・コンテンツとして取り扱われる「はい、2人組を作って~」という教師の言葉が何よりも怖かった。何をされるわけでも何か出来るわけでもない、周囲から無視をされ続けるという1人ぼっちの中学生活を送る内に俺の思考は歪みに歪んでいった。
いつしか「こんな馬鹿たちと一緒の空気は一秒足りとも吸っていたくない」とすら考えるようになっていた。

 時は流れて中学3年の受験シーズン、いつまでも進学希望を出さない俺は担任から2者面談に呼びだされて進学希望先を尋ねられた。俺は「この中学から誰も進学希望を出している人がいない、高偏差値の高校は無いか」と聞いた。教師は公立高校の中で最も偏差値が高く入学難易度が高い男子校の名前を挙げた。この高校にはまだ誰も進学希望を出していない。俺は今挙げられた高校の名前を第一希望の欄に記してそのまま担任に提出した。
(この場面を俺は今でもよ~~~く覚えている)

 間違いなくカッコ付けていたんだと思う。この学校にいる馬鹿たちと自分は違うのだということを教師に示したかった気持ちがあった。けれど今になって振り返ってみると、きっと心の余裕も無かったんだと思う。酸素の足りない水槽の中に放り込まれた金魚のように俺は苦しみながら外の空気を求めていた。もうこの中学校から一秒でも早く外に出たかった。
 そして試験を終え、無事に記した通りの第一希望に合格して高校入試を終え、俺は男子校に進学した。

 思春期という多感な時期を女性のいない特殊な環境で過ごす中で、自分自身の女性観がますます歪んでいく』ことをこの時の俺はまだ知らない。おわり。